ハロウィン、クリスマス、お正月への転身

今年も見れた、ハロウィンからクリスマスへの街の転身。

10月に入ったあたりからじわじわとオレンジ色が広がり、10月末までには様々なところでカボチャや蝙蝠の飾りつけが楽しめた。

日本ではクリスマスほどは定着していないと言われるハロウィンも最近はなかなか楽しまれている気がする。

実際に仮装してお菓子を求めてノンアポで隣人のチャイムを鳴らすのは根回しが必要だが、仲間内で仮装パーティーを開くだけでも十分楽しめる。

文化的な背景は最終的に無視して良いとこ取り、とりあえずちょっといいディナーやお酒を楽しめるお祭りが出来ればそれでいいのだ。

西洋のお祭りということでおしゃれな気分にもなれるしね。

そして季節ものというのは「その日」つまりハロウィンなら10月31日、クリスマスなら12月25日を過ぎれば即撤収しなければならない。

10月いっぱい気分を盛り上げてくれたカボチャや蝙蝠だって、11月に突入した途端に目に入るとなんだか微妙な気持ちになってしまうのだ。

ハロウィンならまだ良くてもクリスマスの場合はもっと厳しい。

なんせクリスマスを過ぎれば我々日本人がとびきり大切にしている行事、お正月がすぐそこだからである。

お正月の場合はクリスマスからのスパンも短いため若干のフライングが許される。

今年もスーパーではクリスマスケーキにまざってしめ飾りや餅の類がじわじわ増えてくるのが楽しめるだろう。

12月26日に入ったらクリスマスツリーも街からすっかり伐採され、どこからともなく門松が生えてくるというわけだ。

今年ももう12月に入ってしまった。

これから先クリスマスがいよいよ本領発揮して街を赤と緑で囲むのだろう。

師走という言葉はクリスマスもハロウィンも浸透していない時代からあるはずなのに、今も変わらず年末付近はエネルギーに満ちている。

忙しく、駆け足気味で、でも何故かパワーに満ちていて、巨大エネルギーの波が年末まで続いている。

お正月はそんな年末のエネルギーに全く影響されずに、ただただ安らぎと静けさを与えてくれる。

ハロウィンからゆっくり始まり、少しの間を開けてクリスマス、お正月へと一気に駆け抜けるこの慌ただしい期間がわたしは大好きだ。

自分を癒す方法

ああ文字を読みたい、ずっと読んでいたい。

疲れたときやひどく頭が混乱した瞬間にこそわたしは強くそう思う。

これは禁煙中の人が煙草に手を伸ばしたくなる衝動とひどく似ているんじゃないかと思う。

仕事なり学校なりで拾った憂鬱な気分を家に持ち込むことになりそうになったら、あなたならどう自分を癒すだろうか。

例えば機嫌の悪い上司か先輩に、誰がどう見ても八つ当たりにしか見えない仕打ちをされたとしよう。

なんたる災難。

こんな災難に巻き込まれたらどう対処するか、ある友人に聞いたら「ピザ、ソファ、テレビ!」と返ってきた。

そんなときは洗い物のする必要ないピザを、ソファに埋まってテレビを見ながら食べるのが一番癒しに繋がるらしい。

許されるならお風呂も中止したい、と嬉しそうに語る彼女は純粋な日本人のはずなのにどこかアメリカンな発散の仕方をする。

ちなみにカッとなった気持ちを愛する旦那さんのいる家へ持ち帰らないためには、コーラの一気飲みが効果的とのこと。 

禁煙をしたいしたいと長年思い続けているある友人には「缶チューハイとネット」だ。

遣り切れない思いを抱えたとき、彼にとっては高い酒より安い酒のほうが気分に合うらしい。

お酒を飲み、現実と違うネットの世界に浸れば次の日には気分もすっきりという寸法だ。

そして煙草は「知らないうちに吸っている」のだとか。

わたしの場合はまず活字をひたすら頭に流し込むことで気持ちを落ち着ける。

読書は煙草と違って電車内でも堂々と出来るので、まず帰宅前の移動時間中になにかしら読む。

この場合なぜかネット上にある活字を読んでもまったく効かない。

紙に印刷された、ある程度の長文ならば新聞でも中吊り広告でもなんでもいい。

音楽を聴くのと同じ感覚で活字を頭にひたすら流し込んでいると徐々に頭がほぐれてくる。

そのあとは家に帰るまでにコンビニへ寄り、ハーゲンダッツかワッフルコーンを処方してもらう。

あとは熱いお風呂に入り、ふかふか毛布とアイスと映画があれば完璧だ。

なにが癒しに繋がるかは本当に人それぞれ。

タイミング悪く災難に遭ってしまうのもその日時々。

どんなに落ち込んでも上手く自分の気持ちを前向きにさせてくれる方法を、誰だってよく知ってるのだ。

ロリータ、自分を信じて歩くこと

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 付き合いの長い友達には「本当に私服が落ち着いたね」としみじみ言われることがある。

何を隠そう、昔のわたしはロリータファッションが大好きだったのだ。

電車内で一瞬コスプレかと思ってしまうようなフリフリヒラヒラな女の子を見てギョッとしたことのある方も多いだろう。

カジュアルとは程遠い、あまりに現実離れしたロリータファッションのインパクトはかなり強い。

はい、わたしも5年前まではギョッとさせる側でした。

「ロリータ」と聞いてまず思い出すような甘ロリ下妻物語の主人公桃子的な)よりも、おとなしめなデザインで上品なクラシカルロリータなファッションが大好きだった。

お気に入りはVictorian maiden。

スカートはやや長め、ニーソックスよりタイツのスタイルが好きだった。

自分的にはおとなしめのファッションでいたつもりだけれど、まぁ街を歩いていれば浮いてしまう。

お年寄りはあからさまにじろじろ見てくる、女の子は睨んでくる、お若い男子グループときたら無言でにやにや。

家を一歩出たら敵ばかりの世界だ。

そんな中電車に乗り学食にもドトールにも出没していた。

あんな恥ずかしい恰好で冷たい視線を受けて果たしてつらくはないのか?

勿論つらいに決まっている。

人より派手な格好をしていてもわたしは平凡な女子の心をずっと持っていた。

見ず知らずの通行人からはっきり悪意に満ちた笑みを見せられ傷つかない人なんていないわけがない。

それでも心から「かわいい!!」と自信を持って言えるドレスが護ってくれたのだ。

「本当はオムライスを食べたいけどみんながランチセットしか見てないから同じものにするの…」なんて人がいたら誰だって「好きなもの頼めばいいのに」と思ってしまうだろう。

わたしもそう思う。

周囲から冷たい反応を受けたとしても、自分だけの問題ならば自分の大好きなものを信じればいいのだ。

ブランド物にお金をかけるも良し、占い師通いを続けるも良し、ピアスは開けない主義でも良し。

なににお金や力をつぎ込もうが基本的には個人の自由。

「あなたのためを思って」なんてにやにや笑いつつ自分のことしか考えていない人のことは無視してよろしい。

気に入らないからといって人に批判されるいわれはないのだ。

今ロリータ服を脱いだわたしはあの頃と違いショートパンツもジーンズも履けるようになった。

電車に乗ったとしてももはや誰も恐る恐る見てきたりはしない、本当にただの一般人。

昔と変わらないのは、自分の一番素敵だと思えるファッションを今も楽しんでいることだ。

ロリータ時代のドレスは一番のお気に入りのものだけは捨てずに大事にとってある。

自分が一番素敵だと思えるものを信じ、一緒に歩いたわたし達は立派な戦友だ。

恋する乙女の罪深さ

恋愛相談をしてくる友達はよくこんなことを言う。

「こんなに悲しい思いをしているのに彼ってばなんにもわかってくれない」 

なら正直な気持ちを話し「こうしてほしい」と言ってみなよと言うと決まってよく言う。

「言わないでもわかってほしいのに…」

ああ友よその気持ちはよく、よく、わかる。

「言わないでもわかってほしい」「それぐらい察してほしい」

こんなこと恋愛経験のある女性なら誰しも思ったことがあるだろう。

大好きな彼がさりげなく気持ちを察して気遣ってくれたとき、我々はとても満ち足りた気分になれる。

イケメンしか出てこない少女漫画には度々そんな女心のわかる男性が登場するのだ。

そしてそんな漫画は男女間でここまですれ違うことは教えてくれないから罪深い。

中学生高校生のカップルが別れる理由は大体ここの問題である気がする。

例えば友人同士なら相手に気に入らないことがあってもその場で柔らかく指摘し合えるのに、なぜか恋人同士だとそうはいかない。

自分のことをわかってほしい、大切にしてほしい、だってあなたは特別だから。

そんな人はついつい多くを求めてしまうのだ。

同じことは家族間でも言える。

マグカップが汚れてる、ドアはきちんと閉めてよ、どうしてお風呂を沸かしておいてくれなかったの…などなど。

友達にだったら「エアコンついてるからドアは閉めてね、ありがとう」くらい笑いながら言えるのに、より近い関係には「なんでドア閉めないの!」となってしまうのである。

あなたならそれくらいわかるでしょ?という厳しさがそこには存在する。

自分にとって大切な人、近しい人だからこそ許せないというのは悲しいことだ。

そこで「鈍い彼氏」に悩む友人にはとにかく自分の意見を言って相手とよく話し合うのをおすすめしている。

その殺傷能力の高いロマンチシズムを放り投げ、ただの人間としてのコミュニケーションはどうかという提案だ。

「話し合わないとわかってくれないなんてひどい人…」

が、恋する乙女には大抵こう返されてしまう。

こういうときは解決策よりも同調がほしい、まさにそれ。

わかる、わかるぞ友よ。

相談に乗るというより一緒にケーキでも食べるくらいしか出来ないのがわたしだ。

「シー」という謎の音

男性の、特に少し年配の方に見られる現象で全く不思議なものがある。

「シーー」とか「シューー」とか、そんな音をたてて長く息を吐き出すあの音だ。

うまく説明できるかいまいち自信がない、が気になって仕方がないので書いてみることにする。

それは特に仕事中やなにか作業中の男性がしがちのものであると思う。

なにかに没頭しているようなときに「シーー」とか「シューー」だとかそんな音を立てて息を吐き出す癖のある方がこの世の中に一定量存在している気がする。

それも誰かがそばに近づいたタイミングで、そちらを見ずに「シーー」とやるのだ。

わたしは決して批判がしたいわけではない、があの音はなんなんだろうと気になって仕方がない。

昔のバイト先の店長はこれが癖のようで数日に一度はその音を聞いていた。

まさか本人に「店長、今のその音はなんですか?」なんて聞けるはずもなく長年うずうずしている。

他のアルバイト先でも聞いたことがあるし、職場だけでなく買い物へ行った先でも聞いたことがあった。

スーパーで品出しをしている店員さんのそばを通っただけであの音を聞いたときには思わず振り向いてしまった。

ここでもわりかし年配の男性、そしてノールック「シーー」だった。

女性でやっている人は今のところ見たことがない。

一体あの音はなんなのか、そしてなんの意思表示をもってなされるのか?

ヨガ教室へ通ってたときに似たような音を聞いたこともあったけれど、まさか深呼吸とは関係ないだろう。

ああ気になる、気になって仕方がない。

Yahoo!知恵袋にでも答えが載ってないだろうか。

洗濯の罠

晴れた日曜の朝といったら洗濯しかない。

平日が他所を向いているうちにさっさと片づけてしまうに限る。

そんな方は大勢いらっしゃることと思う。

わたしもその日の朝、外の天気を確認するとすぐに例の二層式をフル稼働させることにした。

ちょうど去年の今頃、晴れた日曜だったと思う。

この際だからと寝間着もすべて洗うことにして洗濯機を動かしていると、ふと玄関のチャイムが鳴り響いた。

日曜の午前から押しかけるような来訪者といったら宗教勧誘あたりが即座に浮かぶ。

現にそういった人たちは何度も、それも休日の朝ばかりに集中して押しかけてきていたからだ。

仮にも女なんだから怪しいと思ったら居留守を使え!なんて家族にも言い含められている。

わたしはそっとインターホンに近づきモニターを覗いた。

そこには高校生と大学生の境目くらいの若い女の子が立っていた。

宗教勧誘にしてもなにかの業者にしてもここまで若い人は見たことがない。

いかにもまだ学生のような幼い表情のその子は誰かが出てくれるのをそわそわ待っていた。

もしやお隣さんの彼女か?部屋を間違えてしまったのか?

それとも引っ越しのあいさつに来たご近所さんか?

その女の子のあまりの幼い印象に思わず通話ボタンを押して返事をしていた。

「あっ、こんにちは!」

画面の向こうの女の子は少し緊張したように喋りだす。

細かいところは忘れてしまったが、要はその子はボランティアで絵はがきの販売をしているらしかった。

聞いた瞬間素直に出てしまったことをちょっと後悔した

「是非お話だけでも聞いてください」と健気にしめくくりドアが開くのを待つ彼女。

いかにも面倒そうに聞こえたが、ここまできて無視を決め込むのは気がひけた。

昔からちょっと気の弱そうなかわいい女の子には弱いのだ。

まあ悪い人そうじゃないし、なんて仕方なく玄関のドアを開けそうになったときにはたと気づいた。

自分、全裸だった。

背後では洗濯機が楽しそうに脱水しているのが聞こえる。

ああそうだ身に着けていたものも全部洗ってしまえと放り込んだのだった。

一人暮らしなのをいいことに下着もつけず「着る毛布」をいい加減に羽織ってるだけの姿だった。

慌てて毛布についている1つしかないボタンをとめたが所詮は毛布。

これで外開きのドアを開けるために腕を突き出せば腹まで見えるだろう。

あんな純真そうな女の子に向かって日曜の朝から痴女行為である。

瞬間的に考えを巡らせクローゼットに残っている衣服について思い出そうとしたが「全裸」という状況に慌てるあまり頭は動かず、

「ごめんなさいわたし今なにも着ていなくて…全部洗濯しちゃってて…出られないんです、ごめんなさい」

つい素直に包み隠さず伝えてしまった。

あのときモニター越しに見た女の子の驚きの表情が忘れられない。

しかし一瞬の後、その子は口元に手をあててさも面白そうに笑い出してくれた。

この際ドン引きされるより笑ってくれるほうがまだありがたい。

「本当にごめんなさい…服さえあったらすぐ出られるんですが…あの、パンフレットとかあったら是非入れてってくださいね…ごめんなさい」

とにかく喋り続けた。

ああ女だからこんなこと言ってもまだ許される、良かった。

いやこの場合良くはないのか。

照れたように本当に楽しそうに笑う女の子に妙なトラウマを植え付けまいと誠心誠意こめて語り掛けた。

その甲斐あってか「あの、風邪ひかないようにしてくださいね」と天使の一言を残して女の子は帰っていった。

嵐は去った。

無事洗濯もおわり服をきちんと着るとやっと人心地がついた。

ちなみにポストにはパンフレットの類は全く見当たらなかった。

最初からそういう物は持っていなかったのだと信じたい。 

そして流れつく本

 本と人との結びつき -

にて読み終わった本を気に入ってくれそうな知人に渡す喜びについて書いたが、最近自分もその恩恵を受けることができたので書くことにする。

 

フランス人は10着しか服を持たない~パリで学んだ“暮らしの質

フランス人は10着しか服を持たない~パリで学んだ“暮らしの質"を高める秘訣~

 

 これはヒロコのほうが気に入りそうだから、なんて姉から渡されたこの本を見てびっくりしてしまった。

本屋へ足しげく通う方なら最近目にしたことのある方も多いんじゃないかと思う。

わたしも同じく、目に留まっては立ち止まりぱらぱらと流し読みした一人である。

しかしこの手の本は非常に当たりはずれのあることは身を持って知っている。

なんとなく買う気分になれず、でも気になりつつそのままにしていた本を人から差し出されたので本当に驚いた。

姉もなかなか読書家で、特に美容や自己啓発の類のものに強い。

そしてわたし同様「これはあの人のほうが気に入りそう」な本を上手いタイミングで手渡してくれたのだ。

今まで人へ渡したことはあっても人から渡されたことはなかったので感動してしまった。

自分より他人に合う本を放流し続けることで自分にも合う本が流れついてくれたような心持。本との結びつきを一層強く感じた出来事だった。

ちなみに本の中身は自分で予想していた以上に気に入った。

「なんか鼻につくんだよな」と思うこともあるが、それもパリ流と見れば仲良くやっていける気がする。

流行を追う毎日に疑問を持ち、本質的な美を求める女性には嬉しい提案をたくさんしてくれる本だ。

これを読んだ姉が「あいつなら気に入りそうだな」と思ってくれたのもまた嬉しい。

しかしこのタイトル、これこそ「シックじゃない」と言ってしまいたくなる。

原題の「Lessons from MADAME CHIC」が日本で売り出された途端にこうなってしまうなんて、まぁなんらかのシックな事情があったのだろう。