恋する乙女の罪深さ

恋愛相談をしてくる友達はよくこんなことを言う。

「こんなに悲しい思いをしているのに彼ってばなんにもわかってくれない」 

なら正直な気持ちを話し「こうしてほしい」と言ってみなよと言うと決まってよく言う。

「言わないでもわかってほしいのに…」

ああ友よその気持ちはよく、よく、わかる。

「言わないでもわかってほしい」「それぐらい察してほしい」

こんなこと恋愛経験のある女性なら誰しも思ったことがあるだろう。

大好きな彼がさりげなく気持ちを察して気遣ってくれたとき、我々はとても満ち足りた気分になれる。

イケメンしか出てこない少女漫画には度々そんな女心のわかる男性が登場するのだ。

そしてそんな漫画は男女間でここまですれ違うことは教えてくれないから罪深い。

中学生高校生のカップルが別れる理由は大体ここの問題である気がする。

例えば友人同士なら相手に気に入らないことがあってもその場で柔らかく指摘し合えるのに、なぜか恋人同士だとそうはいかない。

自分のことをわかってほしい、大切にしてほしい、だってあなたは特別だから。

そんな人はついつい多くを求めてしまうのだ。

同じことは家族間でも言える。

マグカップが汚れてる、ドアはきちんと閉めてよ、どうしてお風呂を沸かしておいてくれなかったの…などなど。

友達にだったら「エアコンついてるからドアは閉めてね、ありがとう」くらい笑いながら言えるのに、より近い関係には「なんでドア閉めないの!」となってしまうのである。

あなたならそれくらいわかるでしょ?という厳しさがそこには存在する。

自分にとって大切な人、近しい人だからこそ許せないというのは悲しいことだ。

そこで「鈍い彼氏」に悩む友人にはとにかく自分の意見を言って相手とよく話し合うのをおすすめしている。

その殺傷能力の高いロマンチシズムを放り投げ、ただの人間としてのコミュニケーションはどうかという提案だ。

「話し合わないとわかってくれないなんてひどい人…」

が、恋する乙女には大抵こう返されてしまう。

こういうときは解決策よりも同調がほしい、まさにそれ。

わかる、わかるぞ友よ。

相談に乗るというより一緒にケーキでも食べるくらいしか出来ないのがわたしだ。