愚痴のジャンクフードを食べること

よく「ストレスフリー」「幸せに生きる方法」などについて書かれた記事には「愚痴、陰口ばかり言う人とは縁を切る」といった文が見受けられる。なるほど確かに、愚痴や陰口なんて聞かずに過ごせるならずっと良い気分でいられるに違いない。良い気分が続く人生なら勝ったも同然だろう。わたしもこれを実践する一人だ。

ここで不思議なのは愚痴をこぼすと気分がすっきりしたり、誰かのこぼした愚痴を肯定することで仲間意識を確認出来ることだ。ストレスの元だと言われているはずなのに愚痴を言い合うのは何故だか楽しい。ひそかな快感に似た魔力が愚痴や陰口にはある。小学生の頃に嫌いなクラスメイトについて友達同士で語ったときのことを思い出すと、深刻ぶりながらもみんな瞳をキラキラさせていたのをよく覚えている。きっとわたしの瞳だってキラキラしていただろう。

愚痴、陰口はジャンクフードのような物なのかもしれない。食べたところで肌荒れや体重増加、高血圧なんかを招くことはみんなわかってる。わかってるけど食べたくなる。そして我慢しきれず食べだした一人はそれを周囲にも配りだすのだ。さあどうぞあなたにもお一つ。わたしは結構、なんてさっさと断れれば遥かに楽だがそうはいかないのが人間関係。愚痴や陰口と縁を切るにあたっての一番の壁じゃないかと思う。友人のよしみでつい食べたくないジャンクフードを食べなければいけないこともあるだろう。わたしは気ままに生きることを誓った身なのでこんな状況になったらさっさと逃げ出すことにしている。それか一口だけもらってその感想を述べ、あとは頃合いを見計らって適当な話題を差し出すのみだ。卑怯だとか八方美人だとか言われようが肌荒れは避けたい。

ついでにこのジャンクフードを食べることを一切躊躇わない人も沢山いる。一緒に食べてくれるのが友情だと信じている人も沢山いる。そしてこの人達は陰口を言い合うときには間違いなく瞳をキラキラさせている。よく覚えておかねばならない。そしてこういった考えを持っている人達とはすっぱり縁を切るか、仲良くしつつも一定の距離を保つしかない。食の好みの問題なので仕方ない。

またこのジャンクフードを食べなければ生きていけないと信じている人も中にはいる。この人たちは食べたくて食べているわけではない。どこかで発散しなければとても自分を保ってはいられないと思いながら鬱憤をため込み、それが愚痴となって出て来るのだ。わたしはそんな人達からジャンクフードを差し出されるととても悲しい気持ちになる。仲の良い友人なら尚更だ。そして普段ならきっぱりお断りのところ、この時ばかりは肌荒れ覚悟で一緒に食べることにしている。

まあたまに毒を入れるのも免疫はつくので悪くはない。どうせなら誰かを勇気づけるために食べたいものだ。