受験時に限って絵が上手くなったこと

わたしは昔から趣味で絵をよく描いていた。斜めに傾げたイーゼルへ向かうのではなく、広告の裏やノートの隅にペンでこそこそイラストを描くのが大好きだった。

小学生のうちはお絵かきの好きなグループで集まって小さな絵を沢山描いたものだ。自分の「かわいい!」と思う物をパースも現実味も無視して描きつづっていた。今そのときの絵が目の前に現れたら懐かしさよりも恥ずかしさが勝ってしまうかもしれない。誰にでもありそうな良い思い出だ。

ついでにお絵かきクラブへ入り中二心の赴くままに血だらけの女の子の絵を描いて、クラブを担当していた教師に「良くない、残酷な絵だ」としてクラスの担任にまで話がいったのも良い思い出だ。確か吸血鬼と人間とのハーフだかそんな設定だったと思う。思い出すと転げまわりたくなる。

そんなささやかな事件もあり、わたしは誰かに見せびらかすでもなく自分だけの楽しみとして絵を描き続けていた。今も手帳に星のマークを書き込むだけでわくわくしていることに気が付く。きっと自分はこういうのが好きなんだろう。しかし描くこと自体を楽しみにしているので仕上がりにはそこまで熱意を持っていない。よって、二十年以上絵を趣味にしているわりには下手だと自覚している。

けれど自分にもこれは上手く描けたなという時期があった。上手いと言っても多少のことなのだが、確かにあった。高校三年生の受験を控えた冬頃の時期だ。特に良く覚えているのは自分の部屋を自由に一筆書きでスケッチした物だった。なんでそんな物を描いたからといったら、勉強に煮詰まりすぎてつい布団の上へ転がったら部屋の散らかりようが面白く目に映ったからだ。過去問のプリントや願書の入った分厚い封筒で埋め尽くされた部屋がついつい味のある風景に思えた。そこで即興ですらすらペンを走らせてみたらなかなか上手くいってしまったのである。

その後受験シーズンも終わり煮詰まった日々が過ぎ去ると、わたしの画力は通常通りに戻ってしまった。あれは一体なんだったのだろう?今思い出しても不思議なことに、あのときはどこへどうペンを走らせればいいか全てわかっていたのだ。今同じように描けと言われても出来る気がしない。誰かがわたしの手を勝手にコントロールしているかのようだった。

絵、文章、ダンス、演技…アートと呼ばれるものは驚くような体験をもたらすことがあるらしい。わたしの体験したあれは「神がかった」演技だとか「天才的な」文章を生み出すスピリチュアルなものの片鱗だったのかもしれない。

ちなみに受験生のわたしは勉学における神がかりな成果は見せられず、第一志望は落ちた。もしあのときアートの神様でなく勉学の神様が降りていたら合格してただろう。まあ、問題を解くよりもマークシートを綺麗に塗りつぶすほうが楽しかったので神様は間違っていないと思う。