祖父のこと
わたしが物心つく前から祖父はほとんどずっと一緒に住んでおり、わたしにとっては完全に家族の一員だった。
祖母とは死別しており、重い病気を患っていたため一人で暮らすのが難しかったからだと思う。
小さい頃はどこの家庭にもおじいちゃんがいるものだとばかり思っていた。
2つ上の姉も同様によく懐いており、2人してよく祖父を取り合いつつ遊んでもらっていた。
優しくて、どこまでも温厚な祖父をわたし達は大好きだった。
そんな祖父もつい6年前に亡くなってしまった。
当時はそれはもう落ち込み落ち込み、家の中が真っ暗になってしまったような気持ちだった。
けど月日はきちんと経ってくれる。
ようやく祖父のことも涙なしに語れるようになると、姉とも祖父について話せるようになった。
結果、2人ともずっと「自分にはおじいちゃんが守護霊としてついててくれる」と信じていたことを知る。
亡くなった人が家族や大切な人について守ってくれる、とよく話に聞くあれだ。
完全に信じていた。一番末の孫として特別可愛がってくれた祖父は自分についててくれるものだと根拠もなく信じこんでいた。
つらいときには懐かしい祖父の気配をそばに感じることさえあった。
姉もまた同じだったらしい。
一時期反抗期のひどかった姉も祖父にだけは心を開いていた。きっと特別なつながりを姉だって感じていたのである。
一体祖父はどちらについているのか?
わたしのほうだ、いやわたしだと言い合っても決着はつかない。
証拠の見せようもないし、そもそも死後の話が本当か誰も知らないのだ。
そしてわたしと姉がそんな話をしているのを静かに聞いているだけの母がいる。
母がこうしてなにも言わないときは何か思案しているときだと知っている。怪しい。
もしかしたら母も同じことを思っていたのかもしれない。
考えてみたら母は祖父のひとり娘である。
過ごしてきた期間もわたし達とは長さが違うし、病気の祖父の世話を誰よりもしてきたのは母だ。
夢に祖父が出てきて「こっちは心配いらないから」なんて言ってくれた話を母から嬉しそうに聞いたのはよく覚えている。
内心わたしの夢にじゃなかったか… と悔しがったのは秘密だ。
でもきっと姉もそう思っていたと思う。
今回の連休中には祖父の七回忌へ行ってきた。
お経を唱えおわったお坊さんの話曰く、亡くなった方への一番の弔いは残された人が元気に幸せに生きることらしい。
あの優しい祖父なら間違いなくそう思うだろう。
祖父がどこにいるのかは結局わからないが、そういうことなら任せておいてほしい。
これもまた家族全員があのとき思ったことだろう。
亡くなってこれだけ日が経っても愛される、つくづく立派な人だった。