鬱は自分からのサイン

このブログの呑気な記事達とは毛色が違うが、最近知人が不眠についての悩みを聞かせてくれたので書いてみることにする。

わたしは18~22歳頃の若くて楽しい時期にかなりの鬱持ちだった。高校入学あたりですでに「なんか変だな」という兆候はあり、本格的に神経科にかかるようになったのは卒業後だ。不眠、不安症、自傷癖、無気力、引きこもり、よくあるがそんなところ。昼間に外出するのが嫌で、誰かと喋るのが恐怖で、自分のことが嫌いで仕方なかった。

なにをしててもつらい、死んでしまいたい。そう思って実際何度か試してみたが死にきれなかった。いざやってみると割と自分から死のうとするのって難しいもんである。生存本能という鉄壁に邪魔されてあと一歩の力が踏み出せず、また自己嫌悪に陥ってやたらと薬を飲む日々だった。部屋のごみ箱は血のついたティッシュでいっぱいだった時期もあった。家族は当然心配し、叱り、見守り、お祓いへ連れ出したりと色々と尽くしてくれた。そのときは優しくされることも説教されることも恐怖だったが、今その当時の家族のつらさを思うと胸が痛む。

ちなみに何故そんな状態になったのか、今考えてみても「これ!」というはっきりした原因はわからない。日常の小さな積み重ねからじわじわ疲弊していった結果だと思う。鬱はわりと身近にある病気だ。希望する進路へ進むことが出来なかったこと、身内の不幸や病気、自分をやたらと卑下する癖、わたしの場合はそんなものが混ぜ合わさっていた。

さて荒れに荒れていた精神状態も一周まわって落ち着くときが来た。21歳を過ぎたあたりから自殺願望も自傷もどうでもよくなってきていた。薬の種類も減り、少ない友人とも普通に会えるようになり、SNSや趣味を通じて新しい友人と交流するのも楽しくなってきていた。薬さえ持ち歩いていれば普通の生活を送れるようになったのである。しかしここが問題で、何年も飲んできた薬を今更やめることは考えられなくなっていた。精神的には落ち着いて生きる意欲も沸いてきたが、不眠や不安症が改善しない。外出するときには小さなピルケースをお守りのように持ち歩き、手元に薬が無いという状況が何より怖かった。完全に依存症だったのだ。

普通の医者は「つらい」と訴えるとなにかしら患者のためにしてくれる。わたしが鬱の相談で初めて神経科にかかったときも最初から安定剤を処方された。運動をしろとか、日光を浴びろとか、最近の出来事を聞かせてくれだとか、そういったカウンセリングもあったが大抵は「まだつらい?じゃあ今度はこの薬を試してみようか」だった。混雑している病院は尚更そうだ。でもここで安易に「医者のせいで薬漬けにされた!」なんて怒ることは出来ない。だって患者の痛みを医学をもって解決しようと動いてくれるのが医者なのだ。

依存とは不便なもので、外出先でピルケースを忘れたことに気づいたときの恐怖たるや凄まじいものだった。そのうちそんな生活に嫌気がさし、毎月薬をもらうのもお金がかかるので薬をやめようと思った。

睡眠薬や安定剤の類は自己判断でやめずにまず医師に相談するようによく言われている。わたしもそれに倣って減薬していきたいとかかりつけの医者に相談した。徐々に減らすことになり通常より薄い薬袋を渡されたが、それを見たときから嫌な予感はすでに感じていた。結果それは的中し、次の月にはまた元通りの量を処方されることになる。

一説によるとデパスというよく扱われている安定剤をやめるのは禁煙と同じくらい難しいらしい。ほいほいと長年摂取し続けていたがそれを知ったのは薬をやめたいと思ったときだった。その後何度か「今日は三錠のとこ二錠で乗り切ってみよう」などと努力してみたけれど上手くいかず、睡眠薬も相変わらずやめられなかった。このまま一生付き合っていくしかないのかとも思っていた。

それから更に一年ほどして23歳、あれだけやめられなかった薬をやめることに成功した。特に努力した覚えはなく、普通に毎日飲んでいた薬の作用にあるとき違和感を感じたのだ。それが徐々に大きくなり、いつもと同じ量を飲んでいても薬酔いをするようになってきた。そこで「もしかして薬なんて飲まなくても問題ないんじゃないか?」という疑問が浮かんだのがきっかけだ。

こういう精神状態になると減薬はたちまち上手くいった。「つらくなったら飲む、眠れなければ飲む」というように必要なときにだけ頼るスタンスにするとどんどん量は減っていった。ピルケースを忘れても「まあなんとかなるさ」と乗り切れるようになり依存状態からも脱した。飲む頻度が減ったためたまに一錠飲むだけでも薬酔いするようになると、カッターで錠剤を分割して飲んでいた。最初は半分、次に四分の一になり、ついに飲まない日が続くようになる。五年近く飲んでいた薬をたった一ヶ月でやめるに至ったのだった。

あれから三年、薬を飲みたいと思ったことは一度もない。わたしの鬱はなにが原因なのかもわからなかったが、なにが原因で治ったのかもわからなかった。これもきっと規則正しい生活やある種の吹っ切れなど沢山の要素が組み合わさったのだと思う。ちゃっかり社会復帰を果たして今は家族とも仲良くやっている。

今思うのは一般的に「痛み」とは自分からのサインだということだ。食べ過ぎで胃が痛むのも心が焦燥感に襲われるのも「すぐにこの状況を改めて安静にしなさい」というメッセージが隠れていると思う。鬱になる前のわたしはそんなメッセージを全て無視して自分の本心よりも他人の意見を重視して生きていた。希望していた進学先も周囲の猛反対に遭って断念してしまった。長いことないがしろにされた心は荒れに荒れ、自分には申し訳ないことをしてきたと思っている。

一度克服してしまった身として思うのは「もしかして鬱かもしれない」と思ったときには病院に行く前にまず自分の今の状況を見回してほしいということだ。そしてもっと自分のことを大切にしてほしい。自分の本当の気持ちをどこかで見落としてないか、他人の意見に左右されていないか、そういうことに気を配るのが一番だ。自分の本当に望んだことならつらい状況でも案外楽しくやっていけるものなので、そこで息切れが起きるならもう一度自分の本心を探ってみるべきだと思う。

もし今すでにひどい鬱で苦しんでいるなら無理はしないことだ。鬱状態になるからには心に余程の苦痛を抱えていることと思う。十分に労わってやるのが一番だ。自傷してしまっても薬を飲んでいても自分を卑下することなんてない。そりゃやらないのが一番だけど、わたしはあのとき自傷癖や薬が無かったら心が爆発して帰ってこなかったとも思っている。そのうち上手い発散方法を見つけられるから大丈夫だと言いたい。

わたしはたまに鬱になっておいて良かったなと思う。あのままのスタンスで生き続けていたらつらくて苦しくて仕方なかっただろう。鬱になったからこそ自分を肯定することが出来た。他人の意見に流されるのもやめた。幸運だったと思う。