アルケミスト

 

アルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫―角川文庫ソフィア)

アルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫―角川文庫ソフィア)

 

ある作家が自分の人生に影響を与えた本を挙げており、その中にパウロ・コエーリョ著の「アルケミスト」はあった。わたしはその作家の本だけでなく生き様が素敵だと感じていたので、この本を図書館で見つけたときにはすぐ飛びついた。

アルケミスト錬金術師という意味だ。主人公の羊飼いの少年は自分の見た夢に従って旅をする。その旅の中で沢山の人々と出会い、沢山の生き様を目にしながら進むのだ。人々の話す言葉はどれもが宝石のように輝いている。王様や砂漠で生きる人々など、わたし達には想像しづらく思えるひとりひとりの存在が胸を打つ。

夢に見たものを目指して前へと進む少年をずっと見ていたくなる物語だった。本を読んでいる間は世界中の大切な宝物を、目の前で丁寧に見せてもらっているような気分になった。

前兆に注意を払うこと、そして大いなることば。

この本を読んだことのない人にとって何のことかさっぱりだろう。でも読めば誰にでも理解出来る。現に世界中で翻訳されている大ベストセラーだ。わたし達が希望を持っている限りこの本はずっと一緒にいてくれる。

デパート前の八百屋は強し

初めて一人暮らしを始めるにあたり不安だったわたしは周囲の人へ生活のアドバイスを聞いてまわっていた。一昨年のことだ。

自炊についてだとかゴミ出しについてだとか、細かいことまで他方から色々と教えてもらった。中には「なんとでもなるから準備しないでも大丈夫よ」と言われたこともある。それを聞いたときには内心本当かどうか疑ってしまったがそれは結果当たっていた。確かに実際経験してしまえばなんとでもなるもんである。

そんな中で父に近所の中で良いスーパーの見つけ方について聞いたところ、こう教えてくれた。デパート前の八百屋が一番強いと。

「デパートのそばにある店は生き残るのが厳しいものだ。普通に経営していたら客はデパートで買い物するに決まっている。

それでも生き残っている店があったら、その店にはデパートには負けない何かがあるんだ。扱ってるものが新鮮だとか、とにかく安いとかな。そういう店は逆にデパートを広告塔にしてどんどん客を集めてるんだよ」

父はこう語る。

考えてみると確かにそうだ。大きなデパートのすぐ近くにはやたらと元気な八百屋や小さなスーパーがよく目に入る。店構えや照明の明るさなんかはデパートに到底及ばないのに、いつも人がいっぱいなのはそういう理由があったらしい。

わたしの両親は昔から「卵を買うならあの店」などと決めていて、週に一度の買い物の際には車で何件も店をはしごする戦法をとっている。それになかなかの目利きであり「あの店はもう駄目だな」なんて言って定期的に巡回する店が変わりもする徹底ぶりだった。

家事に殆ど参加していなかった父も何故か食材にはうるさく、新鮮な魚や美味しそうな果物を安く見つけては昔から嬉しそうに報告してきていた。良いものを安く買うことをゲーム感覚で楽しんでいる人なのだ。そんな父だからこそわかる知恵だと感心してしまった。

ついでに父は新鮮で美味しい食材の見分け方も教えてくれた。曰く良い食材はウィンクしてくるらしい。昔から衝動買いを母に怒られる度に「この苺がウィンクしてきたから仕方ないんだ」と言って煙に巻くのだ。苺だろうがハッサクだろうが目を開きっぱなしでパックされたサンマだろうが、父に言わせるとウィンクしてくるらしい。

ここまでくると初心者のわたしには少しハードルが高い。

受験時に限って絵が上手くなったこと

わたしは昔から趣味で絵をよく描いていた。斜めに傾げたイーゼルへ向かうのではなく、広告の裏やノートの隅にペンでこそこそイラストを描くのが大好きだった。

小学生のうちはお絵かきの好きなグループで集まって小さな絵を沢山描いたものだ。自分の「かわいい!」と思う物をパースも現実味も無視して描きつづっていた。今そのときの絵が目の前に現れたら懐かしさよりも恥ずかしさが勝ってしまうかもしれない。誰にでもありそうな良い思い出だ。

ついでにお絵かきクラブへ入り中二心の赴くままに血だらけの女の子の絵を描いて、クラブを担当していた教師に「良くない、残酷な絵だ」としてクラスの担任にまで話がいったのも良い思い出だ。確か吸血鬼と人間とのハーフだかそんな設定だったと思う。思い出すと転げまわりたくなる。

そんなささやかな事件もあり、わたしは誰かに見せびらかすでもなく自分だけの楽しみとして絵を描き続けていた。今も手帳に星のマークを書き込むだけでわくわくしていることに気が付く。きっと自分はこういうのが好きなんだろう。しかし描くこと自体を楽しみにしているので仕上がりにはそこまで熱意を持っていない。よって、二十年以上絵を趣味にしているわりには下手だと自覚している。

けれど自分にもこれは上手く描けたなという時期があった。上手いと言っても多少のことなのだが、確かにあった。高校三年生の受験を控えた冬頃の時期だ。特に良く覚えているのは自分の部屋を自由に一筆書きでスケッチした物だった。なんでそんな物を描いたからといったら、勉強に煮詰まりすぎてつい布団の上へ転がったら部屋の散らかりようが面白く目に映ったからだ。過去問のプリントや願書の入った分厚い封筒で埋め尽くされた部屋がついつい味のある風景に思えた。そこで即興ですらすらペンを走らせてみたらなかなか上手くいってしまったのである。

その後受験シーズンも終わり煮詰まった日々が過ぎ去ると、わたしの画力は通常通りに戻ってしまった。あれは一体なんだったのだろう?今思い出しても不思議なことに、あのときはどこへどうペンを走らせればいいか全てわかっていたのだ。今同じように描けと言われても出来る気がしない。誰かがわたしの手を勝手にコントロールしているかのようだった。

絵、文章、ダンス、演技…アートと呼ばれるものは驚くような体験をもたらすことがあるらしい。わたしの体験したあれは「神がかった」演技だとか「天才的な」文章を生み出すスピリチュアルなものの片鱗だったのかもしれない。

ちなみに受験生のわたしは勉学における神がかりな成果は見せられず、第一志望は落ちた。もしあのときアートの神様でなく勉学の神様が降りていたら合格してただろう。まあ、問題を解くよりもマークシートを綺麗に塗りつぶすほうが楽しかったので神様は間違っていないと思う。

浅き夢見し

押切もえさんが最近文芸誌デビューを果たしたらしい。これを聞いたときにはそれはもう驚いてしまった。

押切もえさんといえばとても美人なモデルさんだ。テレビはほとんど見ないわたしはそれしか知らないが、それだけでも十分だろう。昨年に小説家としてデビューされてるのも知っている。「意外な才能が」なんて高評価なその本の噂も聞いていた。

しかしまあ、 流行の本に手を伸ばすのは躊躇ってしまうのが捻くれた読書家だ。ご本人のキャリアからしてその本が取り上げられるのは芸能ニュースのカテゴリが多く、なんとなく読む気になれなかったのだ。わたしはまず食わず嫌いを起こす癖がある。

そこでの文芸誌デビューである。文芸誌といえば文字に文字をかけて食べてそうな人種の集まる所。これは作家としてガチなんだなと確信した。そしてやっとこさ処女作「浅き夢見し」を読んだのだった。

これはざっくり言えば売れないモデルである主人公が努力を重ね成長していく物語。シンデレラストーリーという説明のされ方のある話である。

いやあ吃驚した。センスのある描写で最初から最後までとにかく読ませてくれる。なにより前半の売れないモデルとしての主人公の、自己嫌悪にまみれた描写には本当に驚いてしまった。あんなの体験したことが無ければ書けない代物だ。自分の靴を恥ずかしく思ってしまう心理なんて、あの超人気モデルの押切さんが描写出来るのかと驚いた。そこから夢に向かう主人公の努力の積み重ねがまたリアルで感心する。

本のレビューには「自己投影」「薄っぺらい」なんて酷評もあるが、わたしはそうは思えない。確かに文字に文字をかけて食べたいときの気分には向かないだろう。題材が題材なだけに若いこ向けと言われるのも仕方ない。だが著者は読んだ人に勇気を与えたいと言っている。この本はそんな熱意に溢れている。小説の体をとった自己啓発本と言ってもいいのではないだろうか。この努力この苦労、モデルとして成功するわけだと納得してしまった。

今後も書かれたものはチェックしていこうと思う。果たして押切さんが文字に文字をかけて食べたくなったときにはどんな物語が飛び出すのだろうか。

考えるとわくわくする。 

浅き夢見し

浅き夢見し

 

 

愚痴のジャンクフードを食べること

よく「ストレスフリー」「幸せに生きる方法」などについて書かれた記事には「愚痴、陰口ばかり言う人とは縁を切る」といった文が見受けられる。なるほど確かに、愚痴や陰口なんて聞かずに過ごせるならずっと良い気分でいられるに違いない。良い気分が続く人生なら勝ったも同然だろう。わたしもこれを実践する一人だ。

ここで不思議なのは愚痴をこぼすと気分がすっきりしたり、誰かのこぼした愚痴を肯定することで仲間意識を確認出来ることだ。ストレスの元だと言われているはずなのに愚痴を言い合うのは何故だか楽しい。ひそかな快感に似た魔力が愚痴や陰口にはある。小学生の頃に嫌いなクラスメイトについて友達同士で語ったときのことを思い出すと、深刻ぶりながらもみんな瞳をキラキラさせていたのをよく覚えている。きっとわたしの瞳だってキラキラしていただろう。

愚痴、陰口はジャンクフードのような物なのかもしれない。食べたところで肌荒れや体重増加、高血圧なんかを招くことはみんなわかってる。わかってるけど食べたくなる。そして我慢しきれず食べだした一人はそれを周囲にも配りだすのだ。さあどうぞあなたにもお一つ。わたしは結構、なんてさっさと断れれば遥かに楽だがそうはいかないのが人間関係。愚痴や陰口と縁を切るにあたっての一番の壁じゃないかと思う。友人のよしみでつい食べたくないジャンクフードを食べなければいけないこともあるだろう。わたしは気ままに生きることを誓った身なのでこんな状況になったらさっさと逃げ出すことにしている。それか一口だけもらってその感想を述べ、あとは頃合いを見計らって適当な話題を差し出すのみだ。卑怯だとか八方美人だとか言われようが肌荒れは避けたい。

ついでにこのジャンクフードを食べることを一切躊躇わない人も沢山いる。一緒に食べてくれるのが友情だと信じている人も沢山いる。そしてこの人達は陰口を言い合うときには間違いなく瞳をキラキラさせている。よく覚えておかねばならない。そしてこういった考えを持っている人達とはすっぱり縁を切るか、仲良くしつつも一定の距離を保つしかない。食の好みの問題なので仕方ない。

またこのジャンクフードを食べなければ生きていけないと信じている人も中にはいる。この人たちは食べたくて食べているわけではない。どこかで発散しなければとても自分を保ってはいられないと思いながら鬱憤をため込み、それが愚痴となって出て来るのだ。わたしはそんな人達からジャンクフードを差し出されるととても悲しい気持ちになる。仲の良い友人なら尚更だ。そして普段ならきっぱりお断りのところ、この時ばかりは肌荒れ覚悟で一緒に食べることにしている。

まあたまに毒を入れるのも免疫はつくので悪くはない。どうせなら誰かを勇気づけるために食べたいものだ。

鬱は自分からのサイン

このブログの呑気な記事達とは毛色が違うが、最近知人が不眠についての悩みを聞かせてくれたので書いてみることにする。

わたしは18~22歳頃の若くて楽しい時期にかなりの鬱持ちだった。高校入学あたりですでに「なんか変だな」という兆候はあり、本格的に神経科にかかるようになったのは卒業後だ。不眠、不安症、自傷癖、無気力、引きこもり、よくあるがそんなところ。昼間に外出するのが嫌で、誰かと喋るのが恐怖で、自分のことが嫌いで仕方なかった。

なにをしててもつらい、死んでしまいたい。そう思って実際何度か試してみたが死にきれなかった。いざやってみると割と自分から死のうとするのって難しいもんである。生存本能という鉄壁に邪魔されてあと一歩の力が踏み出せず、また自己嫌悪に陥ってやたらと薬を飲む日々だった。部屋のごみ箱は血のついたティッシュでいっぱいだった時期もあった。家族は当然心配し、叱り、見守り、お祓いへ連れ出したりと色々と尽くしてくれた。そのときは優しくされることも説教されることも恐怖だったが、今その当時の家族のつらさを思うと胸が痛む。

ちなみに何故そんな状態になったのか、今考えてみても「これ!」というはっきりした原因はわからない。日常の小さな積み重ねからじわじわ疲弊していった結果だと思う。鬱はわりと身近にある病気だ。希望する進路へ進むことが出来なかったこと、身内の不幸や病気、自分をやたらと卑下する癖、わたしの場合はそんなものが混ぜ合わさっていた。

さて荒れに荒れていた精神状態も一周まわって落ち着くときが来た。21歳を過ぎたあたりから自殺願望も自傷もどうでもよくなってきていた。薬の種類も減り、少ない友人とも普通に会えるようになり、SNSや趣味を通じて新しい友人と交流するのも楽しくなってきていた。薬さえ持ち歩いていれば普通の生活を送れるようになったのである。しかしここが問題で、何年も飲んできた薬を今更やめることは考えられなくなっていた。精神的には落ち着いて生きる意欲も沸いてきたが、不眠や不安症が改善しない。外出するときには小さなピルケースをお守りのように持ち歩き、手元に薬が無いという状況が何より怖かった。完全に依存症だったのだ。

普通の医者は「つらい」と訴えるとなにかしら患者のためにしてくれる。わたしが鬱の相談で初めて神経科にかかったときも最初から安定剤を処方された。運動をしろとか、日光を浴びろとか、最近の出来事を聞かせてくれだとか、そういったカウンセリングもあったが大抵は「まだつらい?じゃあ今度はこの薬を試してみようか」だった。混雑している病院は尚更そうだ。でもここで安易に「医者のせいで薬漬けにされた!」なんて怒ることは出来ない。だって患者の痛みを医学をもって解決しようと動いてくれるのが医者なのだ。

依存とは不便なもので、外出先でピルケースを忘れたことに気づいたときの恐怖たるや凄まじいものだった。そのうちそんな生活に嫌気がさし、毎月薬をもらうのもお金がかかるので薬をやめようと思った。

睡眠薬や安定剤の類は自己判断でやめずにまず医師に相談するようによく言われている。わたしもそれに倣って減薬していきたいとかかりつけの医者に相談した。徐々に減らすことになり通常より薄い薬袋を渡されたが、それを見たときから嫌な予感はすでに感じていた。結果それは的中し、次の月にはまた元通りの量を処方されることになる。

一説によるとデパスというよく扱われている安定剤をやめるのは禁煙と同じくらい難しいらしい。ほいほいと長年摂取し続けていたがそれを知ったのは薬をやめたいと思ったときだった。その後何度か「今日は三錠のとこ二錠で乗り切ってみよう」などと努力してみたけれど上手くいかず、睡眠薬も相変わらずやめられなかった。このまま一生付き合っていくしかないのかとも思っていた。

それから更に一年ほどして23歳、あれだけやめられなかった薬をやめることに成功した。特に努力した覚えはなく、普通に毎日飲んでいた薬の作用にあるとき違和感を感じたのだ。それが徐々に大きくなり、いつもと同じ量を飲んでいても薬酔いをするようになってきた。そこで「もしかして薬なんて飲まなくても問題ないんじゃないか?」という疑問が浮かんだのがきっかけだ。

こういう精神状態になると減薬はたちまち上手くいった。「つらくなったら飲む、眠れなければ飲む」というように必要なときにだけ頼るスタンスにするとどんどん量は減っていった。ピルケースを忘れても「まあなんとかなるさ」と乗り切れるようになり依存状態からも脱した。飲む頻度が減ったためたまに一錠飲むだけでも薬酔いするようになると、カッターで錠剤を分割して飲んでいた。最初は半分、次に四分の一になり、ついに飲まない日が続くようになる。五年近く飲んでいた薬をたった一ヶ月でやめるに至ったのだった。

あれから三年、薬を飲みたいと思ったことは一度もない。わたしの鬱はなにが原因なのかもわからなかったが、なにが原因で治ったのかもわからなかった。これもきっと規則正しい生活やある種の吹っ切れなど沢山の要素が組み合わさったのだと思う。ちゃっかり社会復帰を果たして今は家族とも仲良くやっている。

今思うのは一般的に「痛み」とは自分からのサインだということだ。食べ過ぎで胃が痛むのも心が焦燥感に襲われるのも「すぐにこの状況を改めて安静にしなさい」というメッセージが隠れていると思う。鬱になる前のわたしはそんなメッセージを全て無視して自分の本心よりも他人の意見を重視して生きていた。希望していた進学先も周囲の猛反対に遭って断念してしまった。長いことないがしろにされた心は荒れに荒れ、自分には申し訳ないことをしてきたと思っている。

一度克服してしまった身として思うのは「もしかして鬱かもしれない」と思ったときには病院に行く前にまず自分の今の状況を見回してほしいということだ。そしてもっと自分のことを大切にしてほしい。自分の本当の気持ちをどこかで見落としてないか、他人の意見に左右されていないか、そういうことに気を配るのが一番だ。自分の本当に望んだことならつらい状況でも案外楽しくやっていけるものなので、そこで息切れが起きるならもう一度自分の本心を探ってみるべきだと思う。

もし今すでにひどい鬱で苦しんでいるなら無理はしないことだ。鬱状態になるからには心に余程の苦痛を抱えていることと思う。十分に労わってやるのが一番だ。自傷してしまっても薬を飲んでいても自分を卑下することなんてない。そりゃやらないのが一番だけど、わたしはあのとき自傷癖や薬が無かったら心が爆発して帰ってこなかったとも思っている。そのうち上手い発散方法を見つけられるから大丈夫だと言いたい。

わたしはたまに鬱になっておいて良かったなと思う。あのままのスタンスで生き続けていたらつらくて苦しくて仕方なかっただろう。鬱になったからこそ自分を肯定することが出来た。他人の意見に流されるのもやめた。幸運だったと思う。

たまには日記のようなものを

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ワイアードカフェといえばこれ。写真にある冗談みたいな外見をしたパン(プレッツェル)だ。二次元から抜け出てきたかのような佇まいが素敵で、且つとても美味しいので定期的に食べたくなってしまう。

今日は朝ごはんと雑誌を求めてカフェへ行ってきた。

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全ての店舗がそうなのかは知らないが、このカフェは店内に沢山の雑誌を置いていてくれている。今日行ったルミネ新宿店内ではカウンターの上にずらりと雑誌が並べてあった。置いてあるのはライフスタイル、旅行、アートなんかのセンスの良いものばかり。席によってはお店のてタブレットPCを自由に使うことも出来るが、やはりここは本に手を伸ばしたくなる。

雑誌はコンビニに並ばないようなマニアックなものが、読んでみると案外面白かったりする。わたしは「読書」というよりも「文字を読むこと」が好きらしく、文庫本も読むけれど他に地域のフリーペーパーや化粧品のパンフレットなんかも読んでしまう。同じく活字好きな友人は新聞を購読しているのは文字を読むためだと言い切っていた。確かに新聞の真ん中あたりに載っている季節コラムやレシピはなかなか面白い。本は好みとはずれたものに当たることもあるが、こういうのは当たりはずれがあまりない。世の中を嘆くだけの記事よりもずっと読んでて有益じゃないかと思う。

今日はマニアックな雑誌に載ってある短いコラムを沢山拾い読むことが出来た。意外に文の上手な方がいたり、面白い題材で書き綴ってあったりと、とても読みごたえがあった。